やみやみもみー!

思考を整理してアウトプットする場所が欲しかった。

短歌まとめ(セルフ・カウンセリング終了記念)

こんにちは。結月もみじです。

いくつかの本を通して行ってきた「自分と向き合う」作業ですが、自分の中でふと「あっ、落とし込めたかも」という感覚があったので、一旦終了することにしました。

10日間ほどぶっ通しでやってきて疲れたというのもあります。ていうか10日間もトラウマと対峙し続けたのすごくないですか…?(唐突な自画自賛

……ということで今回は、セルフ・カウンセリング中に詠んだ短歌をまとめてみようと思います。短歌初心者なので恥ずかしい部分もありつつ、下手な長文よりも端的で分かりやすく、また自己受容が進んでいく過程も追えるような気がして。のちに自分で振り返りができるようにまとめておきます。

 

短歌まとめ(ほぼ時系列順)

在りし日の 私へ向けた 言の葉も 間に合わなくて うつろに消えて(2/3)

幼少期な苛酷な環境を生き残るために、私の心が分裂してできた「わたし」の存在に気づくも、今さら声をかけても届かない感じがした。

 

「大丈夫」 私はいつも 笑ってた 仮面の下で 誰かが泣いた(2/4)

張り詰めた 心の中から 溢れ出す わずか一滴 抱えきれずに(2/4)

閉じこもり 私は今日も 泣いていた 心の雨に 傘もさせずに(2/5)

頑張り続けていたけれど、もう走れないと思って立ち止まってしまった。その瞬間に私は、とっくに限界を超えていたことに気づいた。そしてもう、走りだせなくなってしまった。

 

つらくても 「私」は最後まで聞くよ ひとり耐えてきた 「わたし」の叫び(2/5)

こんにちは 「わたし」と対話 するたびに 私がどこか 遠のいていく(2/6)

もう走れないと思ったけれど、ここでまた全てを投げ出してしまうのは嫌だと、この居場所を捨ててしまうのは嫌だと、心のどこかで誰かが必死に叫んでいた。そして私は、もう一度「わたし」との対話を試みる。時には「わたし」の暴走を止められず、私の人格が乗っ取られそうにもなった。「私ってなんだっけ…?」となることもあった。混乱しながらも、「わたし」の声に耳を傾け続ける。

 

遺伝子に 刻まれたもので ないのなら すべて希望で 上書きしようか(2/7)

私の生きづらさについて、生まれつきのものか、後天的であっても一生付きまとうものなのだと思って、諦めていた部分があった。けれど、セルフ・カウンセリングを行う中で、これから書き換えることができると気づいた。まだ、やり直せるのかもしれない。

 

少しずつ 「私」と「わたし」が 変わってく 過去の自分も 好きでありたい(2/7)

傷ついたままの「わたし」を受け止めて  ゆっくり進む 季節と私(2/9)

「わたし」との対話を通して、私も、そして閉じ込められていた「わたし」も、少しずつ変わっていく感覚があった。生まれ変われるのかもしれないと思うと同時に、変化前の私を否定することはしたくないなと思った。私も「わたし」も、過去の私もこれからの私も、みんな頑張ってきたんだと、全部を受け入れたいと思った。「わたし」は幼少期からずっと、それを望んでいたのだから。

 

つらかった 思いを奥に 閉じ込めた  開いてつながる 私と「わたし」(2/11)

「わたし」への 最大限の ありがとう 私に心を 開いてくれて(2/11)

幼少期にトラウマとともに閉じ込められていた「わたし」に気づくことなく、私はここまで生きてきた。一連の活動を通じて私は「わたし」の存在を知り、本当に今更だと思いながらも私は「わたし」と対話を試みた。何十年も待たせたのに、他の誰の言葉にも応じなかった「わたし」は、私には心を開いてくれた。そして「わたし」を受け入れられたとき、私は「わたし」とつながりなおせた気がした。「わたし」は本当に優しかった。待たせてごめんね。そして、心を開いてくれてありがとう。

 

弱さだと 思い込んでた ものでさえ がんばってきた 「わたし」の強さ(2/11)

私はこれまで自己肯定感がマイナスの人間だった。ありたい姿とのギャップに苦しんできた。それでもふと、私が弱みだと思っていた部分も、「わたし」が頑張ってきた結果得られたものであり、それは強みになりうるのではないかと思った。たとえば「自分がない」とずっと嘆いたけれど、「人に寄り添うことができる」のは強みなんじゃないかって。弱みだと思っていたものも「わたし」が獲得してきた武器であって、それを使って生きていくこともできるんだって。そう思うと、今までの「寄り道」だらけの人生も無駄じゃなかったのかもしれないなって。そう気づいたとき、私は自分を丸ごと受け入れられた気がした。

 

おわりに

冒頭で書いた「あっ、落とし込めたかも」という感覚の正体が、短歌をまとめる作業を通して掴めました。最後、自己受容できてるじゃん。そういうことか。

ふわふわとした感覚を言語化できただけでも、本稿を書いてよかったなと思います。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。